大阪地方裁判所 昭和33年(ワ)3876号 判決 1960年3月09日
原告 関西信用金庫
被告 株式会社河内銀行
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
原告は、「被告は原告に対して金五〇一、八〇〇円、及び、これに対する昭和三三年九月二日から右支払済に至るまで年六分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決並に仮執行の宣言を求め、請求の原因として、
一、訴外東邦商事株式会社は訴外松下俊一宛に、金額五〇一、八〇〇円、満期昭和三一年一二月四日、支払地布施市、支払場所株式、会社河内銀行本店、振出地大阪市、振出日同年九月二五日なる約束手形一通を振出し、右訴外人はこれを原告に対して裏書譲渡し、原告は右手形を満期に支払場所に呈示して支払を求めたが拒絶せられた。訴外東邦商事株式会社は右支払拒絶による銀行の不渡処分を回避するため、被告銀行に右手形金と同額の金員を寄託したので、これが返還請求権を有していた。
二、原告は訴外東邦商事株式会社に対して大阪地方裁判所に右手形金請求訴訟(同裁判所昭和三一年(ワ)第五四一二号)を提起して昭和三二年五月二三日原告勝訴の判決を受け、確定した右判決に基き昭和三三年七月八日同裁判所に右訴外会社の被告に対する右寄託金返還請求権の差押及び転付命令の申請(同裁判所昭和三三年(ル)第四二五号、同年(ヲ)第四〇〇号)をして、同裁判所から債権差押及び転付命令を受け、右裁判はその頃被告及び右訴外会社に送達せられて同月三〇日確定したので、原告は訴外会社の被告に対する右寄託金返還請求権を取得した。
三、よつて本訴を以て右寄託金五〇一、八〇〇円及びこれに対する訴状送達の翌日たる昭和三三年九月二日から右支払済に至るまで商事法定利率年六分の割合の遅延利息の支払を求める。
と陳述し、被告の抗弁に対し被告主張のとおり手形の呈示並に相殺の意思表示のあつた事実は認めるが、その余の抗弁事実は否認すると述べ、証拠として甲第一号証を提出し、乙号各証は不知と述べた。
被告は、主文同旨の判決を求め、「原告主張の確定判決のあつた事実は認め、その余の原告主張の事実は争わなぃ。」と答弁し、
尚抗弁として、
(一) 訴外東邦商事株式会社は被告に対し、金額一〇〇万円、満期昭和三二年一一月一八日、支払地布施市、支払場所株式会社河内銀行本店営業部、振出地大阪市、振出日同年一〇月二六日、振出人右訴外会社、受取人被告の約束手形一通を振出し、被告は右手形の所待人である。よつて被告は昭和三三年一〇月一〇日の本件口頭弁論期日に原告訴訟代理人に対し右手形を呈示して右訴外会社に対する被告の右手形債権対等額を自働債権として本訴請求の転付債権と相殺する旨の意思表示をした。
(二) 被告は昭和三一年七月一八日に右訴外会社に対し金一〇〇万円を弁済期は同年一〇月一七日、利息は日歩三銭と定めて貸付け、その後弁済期を数回延期して昭和三二年一一月一八日とした。よつて(一)の相殺が認容せられないことを条件として、右貸付元金の対等額を自働債権として右額付債権と相殺する旨の意思表示を右と同時にした。
と陳述し、証拠として乙第一号証、同第二ないし第五号証の各一、二(被告作成と主張)を提出し、証人間下哲雄、同金子吉栄の各証言を援用し、甲第一号証の成立を認めた。
理由
原告が請求の原因として主張する事実は当事者間に争いがないから、被告の手形債権による相殺の抗弁につき判断することとする。
証人金子吉栄の証言と同証言により成立を認めることができる乙第一号証を合せて考えると、訴外東邦商事株式会社代表者金子吉栄は、被告から被告が(二)の抗弁として主張の如く金一〇〇万円を借受け、これが支払のため被告に対し昭和三二年一〇月二六日被告主張の金額一〇〇万円、満期同年一一月一八日の約束手形一通を振出したことが認められ、証人間下哲雄の証言によると被告はその後引続き右手形を所持していることが認められる。右認定の事実によると原告主張の差押及び転付命令が被告に送達せられた昭和三三年七月当時に被告は右訴外会社に対し右手形債権を有していて、右債権と本訴転付債権とは相殺適状にあつたことがあきらかである。
従つて本訴転付債権の第三債務者たる被告は、右訴外会社に対して有した右手形債権の対等額を自働債権とし、本訴転付債権を受働債権とする相殺を以て原告に対抗できる立場にあつた。そして、被告は昭和三三年一〇月一〇日の本件口頭弁論期日に右手形を呈示して原告訴訟代理人に右両債権相殺の意思表示をしたことは当事者間に争いがないから、これが効力について考える。
手形上の債権を自働債権とする相殺には、手形の呈示の外常に手形の交付を必要とするのが通説であるが、当裁判所は手形の呈示は常に必要であるが、手形の交付の要否は相殺が効力を生じた後の問題であつて相殺の要件ではないと解する。
相殺のための手形の呈示は、(1) 、被相殺者に相殺者が正当なる所持人であるか否かを調査せしめるために手形を被相殺者に示すと共に、(2) 、請求があれば、手形に被相殺を証する記載(手形法三九条)をし、又は被相殺を証する計算書(同五〇条)と共に、手形を被相殺者に交付すべき旨の提供を意味するものである。従つて、手形を被相殺者に示しても、請求を受けながら正当な事由(例えば自働債権も受働債権も共に手形債権であるときに、相殺者が請求しても被相殺者が受働債権の手形の交付に応じない場合、手形金の一部を自働債権としている場合等)がないのに手形の交付をしないようなときは、手形の呈示をしたが交付をしなかつたのではなく、交付の提供を欠いているから相殺のための手形の呈示そのものがなかつたと解すべきである。このことは弁済の提供において、債務者が目的物を持参して債権者に示しても、正当な事由がないのにこれを交付しなければ弁済の提供がなかつたことになることからも容易に理解できる。そして手形上の債権を自働債権とする相殺には意思表示と共にする右意義における手形の呈示が常に必要であり、且これを以て足るものである。手形の交付は、被相殺者よりの請求の有無、交付拒絶の正当な事由の有無等に左右せられることがらであつて、手形の交付がない限り相殺の効果が発生しないという解釈は妥当ではない。
訴訟において手形上の債権を自働債権として相殺する場合にも私法上の行為としての相殺の要件方式及び、効力は裁判外における場合と区別すべきではない。
訴訟上で形成権が行使せられたときは、(1) 、その効力は訴訟の経過に関連せしめられ、訴訟上で右陳述が撤回若しくは却下せられた場合、訴訟自体が取下若しくは却下せられた場合、又は、その形成権の行使に触れないで判決がなされた場合等には、その行使行為に私法上の形成の効果も発生しないものとし、(2) 、判決において相殺が有効との判断を受けたときに限り、その判決確定の際に相殺の効果が確定的に生ずるとの説がある。訴訟上の形成他の行使も訴訟外の行使と同様に確定的な効果を発生せしめるときは、訴訟上の相殺が判断を受けないで訴訟が終了した後に、自働債権の支払請求の訴を提起したときは、後の訴訟において自働債権が相殺により消滅したものと認定せられるようなことができ、これはその当事者に極めて不利益な結果となり、訴訟上の形成権の行使はその訴訟に勝訴するための攻撃防禦方法としてするものである性質に反することになるとするようである。しかしながら、債務名義上で債務者とせられている者が、強制執行を受ける虞があるに際し、
(イ) 先ず、訴訟外で債務の存在を争うと共に予備的(仮定的)に相殺の意思表示をしたが、債権者が強制執行の意思をひるがえさないので、請求異議の訴を提起し、その請求原因として右主張をした場合と、
(ロ) 直に、請求異議の訴を提起して訴訟上において債務の存在を争うと共に、予備的に相殺の意思表示をした場合とを、
比較してみるときに、前者の相殺の効力を確定的(強制執行に結びつけないで)としながら、後者の相殺の効力を訴訟の経過に結びつけなければならないとする合理的な理由を発見することができない。右(イ)(ロ)の請求異議訴訟において、いずれも右相殺が判断を受けないで訴訟が終了した後に、自働債権支払請求の訴を提起すれば、後の訴訟において自働債権が右相殺により消滅したものと認定せられるようなことがあつたとしても、(1) の場合は当事者に不利益ではなく、(2) の場合にのみ当事者に極めて不利益な結果であるとは考えられない。
又、手形上の遡孝義勝者を被相殺者として支払拒絶等による遡求権を自働債権として訴訟上の相殺がなされた場合に、前記の如き説によるときは、その訴訟の撃属中は、再遡求義務者又は第一次的の手形債務者の資力が動揺していても、被相殺者はこれ等の者に対し有効適切なる時期に権利行使をすることができなく、更に右訴訟中に手形の第一次的債務者の債務が時効消滅するようなときは複雑なる問題を生ぜしめ、被相殺者をして不当に不利益且不安定な立場に陥れしめる虞があるし、法律関係をいたずらに紛糾せしめることとなる。そしてこれは自働債権を手形とする場合に限られなく、相殺により被相殺者が他に求償権を取得するときには常に生ずる結果である。右の如く訴訟上の相殺の効力の発生を訴訟の経過に結びつけ、確定判決において相殺が有効とせられたときに確定的な効力を生ずるとする説は、そのような条件附の相殺を認めるものであつて、これは被相殺者を不当に不利益な立場に陥れる虞があり、民法五〇六条一項但書に反するものといわなければならない。
訴訟における形成権の行使の私法上の効力も確定的に生ずるものとすると、手形債権を自働債権とする訴訟上の相殺には手形の呈示を要するということにならざるを得ない。そして、訴訟上の相殺の場合においては当該事件の口頭弁論期日に法廷において手形を呈示して相殺の意思表示をすべきであり、被相殺者の訴訟代理人は右呈示及び意思表示を受けるにつき代理権を有するものと解すべきである。
しからば、本訴転付債権は被告の相殺により前記相殺適状のときに遡つて被告の自働債権たる手形金の内金五〇一、八〇〇円と共に消滅したものというべく、(本件は手形金の一部を以て自働債権とするものであるから、相殺の結果、原告は手形の交付を求めることができなく、呈示の際手形に金五〇一、八〇〇円につき相殺があつた旨の記載と相殺による受取証書の交付を請求できたわけであるが、その請求はなかつた)、原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 前田覚郎)